寄稿

フランコフォニア/ルーヴルの記憶について 喜多崎 親 成城大学教授・西洋美術史

第二次世界大戦が始まる少し前、当時のルーヴル美術館館長ジャック・ジョジャールは、万一の事態に備えて美術館の作品を地方に疎開させ始めた。1940年6月10日、フランス政府はパリに対してハーグ条約に基づく無防備都市を宣言した。これによってパリはかろうじて戦火を免れるが、22日にはペタン新内閣によって独仏休戦条約が締結され、フランスは南部に国家として存続するかわりに、北部はドイツに占領されることになり、パリにはドイツ軍が駐屯する。ナチスのヒトラーやゲーリングは、それまでも占領地域から美術品を運ばせていたが、ドイツから美術品管理の責任者として派遣されたフランツ・フォン・ヴォルフ・メッテルニヒ伯爵は、ジョジャールからルーヴルの美術作品の疎開先リストを提出されても、美術品を祖国に送ることはなかった。これがこの映画の主軸となるエピソードである。

しかしアレクサンドル・ソクーロフ監督は、このエピソードを、大戦中の美談としても、歴史の事実の暴露としても、いや淡々としたドキュメンタリーとしてすらも、描き出そうとしてはいない。むしろ、中心となるエピソードをいくつものシーンによって分断することによって、それらのどれかになることを、慎重に執拗に避けているように見える。

まず、映画冒頭近く、この映画を製作中の監督と、船で美術品を輸送している友人のやりとりに我々は面食らう。船は嵐で遭難し、「海の猛威 歴史の猛威」というナレーションによって、それは一見歴史による美術品の翻弄の隠喩であるかのように見える。しかし、本筋とは直接関係なく繰り返し挿入されるこの難船の映像は、美術品の価値(文化的にせよ経済的にせよ)のために、人命が犠牲になるということへの批判とも読めそうだ。 また、しばしば、ナポレオンとひとりの女性がルーヴルの中を歩き回る様子も挿入されている。特徴的な帽子をかぶるこの女性は、フランス大革命の時に、伝統的な自由の擬人像をもとに創られた共和国の擬人像マリアンヌに他ならない。この二人はなんのために登場するのか。それにはルーヴルの歴史が絡んでいる。

ルーヴルはもともと王宮だったが、ルイ14世はパリ郊外ヴェルサイユに新たに広大な宮殿を建造し、以来フランス王家は主としてそちらに滞在した。ルーヴルには、王家の集めた美術コレクションが収蔵され、それらはルイ16世の時代になると啓蒙思想の影響で公開されることになった。だが、実際にルーヴルが美術館として開館し、民衆に解放されたのはフランス革命下の1793年のことだった。権力によって集められた美術品は、「自由・友愛・平等」を掲げた共和国のもとで公共のものとなったのである。ところが、その後に皇帝となったナポレオン1世は、戦争によって支配下に置いたヨーロッパ各地から、半ば強引に美術品をパリに運ばせ、ルーヴルに入れた。ナポレオンの失墜後、それらはおおかたもとの所蔵者に返還されたが、この映画にも出てくる、ローマの名家ボルゲーゼ家が所有していた古代彫刻のコレクションや、ヴェネツィアから運ばれたヴェロネーゼの《カナの婚礼》は残り、ルーヴルのコレクションを充実させた。そしてナポレオンの後も、ギリシアやエジプトやアッシリアから、数々の古代の文化財が運ばれた。むろんそれらは、ルーヴルに収蔵されることで、保存され、多くに人に共有される。だが、こうした収集行為は、占領地で美術品を略奪する第三帝国の姿に重ならないだろうか。

ここに登場するマリアンヌは、ドラクロワの描いた《民衆を率いる自由の女神》の中に登場する力強さは持ってない。傲慢で太ったナポレオンとやつれたマリアンヌの対比に、我々はナポレオンの帝政や第三帝国による占領による、共和国の衰退をみるべきなのだろうか。

さらに、この映画には、ドイツの占領下で一時の平和を享受するパリ市民の様子や、パリの娘と戯れるドイツ兵の姿も描写されている。ヴォルフ・メッテルニヒ自身、ルーヴルを代表とするフランスの文化に憧憬を抱く存在として登場している。彼はドイツの貴族であり、美術史を学び、占領軍の高官でありながら、ルーヴルの館長にフランス語で話しているのである。これは、後半に登場するロシア戦線の悲惨な様子と強い対比をなしている。屍衣に包まれて横たわる死者の姿は、その前に映されたルーヴルにある古代エジプトのミイラと重なる。映画のタイトル「フランコフォニアFrancofonia」は、イタリア語やスペイン語などで「フランス語圏」を意味している。フランスはヨーロッパにおける文化の中心として特権的な位置にあったのだ。ここにロシア出身の監督の、おそらく自身を含めたフランス礼賛への皮肉なまなざしを見るのは間違いだろうか。

美術品は権力によって翻弄されるが、同時に権力によって作りだされ、残されてきたものでもある。この映画は、第二次大戦下のルーヴル美術館のエピソードに絡めて、ヨーロッパにおける美術と人間の関係を、様々な形で問うている。

フランコフォニア ルーヴルの記憶

10月29日(土)ユーロスペースほか全国順次公開!