イントロダクション

世界一有名な美術館、ルーヴル美術館。「ルーヴルのないフランスは必要なのか?」と言われるまでの価値を持つこの美術館は、1793年の誕生から、223年に渡り、ヨーロッパを見続けてきた。そして、ルーヴルの眼差しの先には、常に“美”と“戦争”によって作られた時代があった。 そんなルーヴルが見たヨーロッパの一大叙事詩を映像化したのは、ロシアの巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。これまでヒトラーを題材にした『モレク神』(99)では第52回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、ゲーテの同名小説を映画化した『ファウスト』(11)では第68回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞するなど、高い評価を得てきた。絢爛豪華な映像美で多くの人を魅了した『エルミタージュ幻想』(02)以来の美術館をテーマにした本作では、第二次世界大戦期のドイツによるフランス侵攻時の物語を入り口に、現在と過去を往来して展開していく。ナポレオンや共和国を表す女性像マリアンヌなど時代を象徴する亡霊、息をのむほど美しい数々の美術品、そして美を奪うものと守るもの―。“記憶の迷宮”への旅がはじまる。

ストーリー

第二次世界大戦中の1939年、ルーヴル美術館長のジャック・ジョジャールは、ナチス・ドイツから館内の美術品を守るためにパリ郊外へ密かに運びだすよう指示する。その翌年、ナチス・ドイツの将校ヴォルフ・メッテルニヒが、芸術品の管理のためジョジャールの元を度々訪れるようになる。ふたりは敵同士のため心を開いて語り合うことなかったが、美術品を守る使命で繋がってゆく。
ヒトラーがパリに侵攻する一方、人気のない美術館では、ナポレオン1世が美術品を前に「これも自分が集めてきたものだ」とかつての栄光に浸っている。その傍らには、共和国を表す女性像マリアンヌがいる。争いを繰りかえす人類の歴史の中で、ルーヴル美術館が見てきたものは?そして、ナチス・ドイツのパリ侵攻をどう潜り抜けたのか?

スタッフ

監督 アレクサンドル・ソクーロフ

1951年シベリア・イルクーツク生まれ。軍人であった父親の勤務地の関係で、少年時代をトルクメニスタン、ポーランド等で過ごす。1968年にゴーリキー大学進学。1975年に全ロシア国立映画大学へ進学、卒業制作として撮った長篇処女作『孤独な声』(78)が高い評価を受けるも、政府当局から公開禁止処分となる。また、卒業後にレンフィルムとレニングラード・ドキュメンタリー・スタジオで手がけた多くの作品も同様で、ペレストロイカ後まで一般公開されることがなかった。ヒトラーを描いた『モレク神』(99)では第52回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、またレーニンを描いた『牡牛座のレーニンの肖像』(01)、『エルミタージュ幻想』(02)、『ファザー、サン』(03)は第56回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞、また日本の昭和天皇を描いた『太陽』(05)、ゲーテの同名小説を映画化した『ファウスト』(11)では第68回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。『モレク神』『牡牛座のレーニンの肖像』『太陽』『ファウスト』は「権力者4部作」とよばれている。本作品は第72回ヴェネツィア国際映画祭出品作品である。

アレクサンドル・ソクーロフ監督インタビュー

美術館について

美術館のコミュニティというのは、文化的な世界において恐らく最も安定した部分だ。美術館がなければどうなるだろう?美術館は、過去の偉大で壮麗な文化を我々に見せてくれる。それは、我々が今日作り出せる何物よりも壮大で賢いものだ。ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、プラド美術館、大英博物館のレベルは常に圧倒される。エルミタージュ美術館に初めて行ったのは27歳のときだった。私はとても無学な家の出身で、とても無知だったのだ。

パリからはルーヴル美術館、あるいはロシアからエルミタージュ美術館、こうした歴史的建物がなくなるとどうなるだろうか?海に浮かんだ方舟を想像してみよう。人々や偉大な作品たちー 本、絵画、音楽、彫刻、さらに多くの本、記録などまだまだ積まれている。方舟の木材は耐えきれず、ひびが入り始める。我々は何を救うだろうか?命?それとも物言わぬ、掛け替えのない過去の証明か?本作は、失われてしまったものへの鎮魂歌であり、人間の勇気や魂、そして人類をひとつにするものへの賛美歌である。

ルーヴル美術館で映画が撮れるチャンスが持ち上がったとき、すぐに乗り気になった。エルミタージュ美術館、ルーヴル美術館、プラド美術館、大英博物館で、アートフィルムを連作で撮ることが私の夢だった。我々の依頼に対して、ルーヴル美術館の管理部門が熱心に対応してくれたことは喜ばしいことだった。そしてカメラマンのブルーノ・デルボネルと仕事をする機会を持てるというのは、純粋に楽しいことだった。彼は卓越した巨匠であり、偉大な芸術家だ。こうした状況の組み合わせはそれだけで驚嘆すべきことだ。

ストーリーに関して

パリは、美術館の都市、人間主義に深く根ざした都市であり、文化の中心地である。第二次世界大戦でパリが爆撃を受けていたとしたら、それはあらゆるものの終焉、取り返しのつかない出来事であった。しかし奇妙なことに、それは起こらなかった。パリ以外のあらゆる場所で、すべてが爆撃を受け燃やし尽くされる一方、兵士たちは略奪し、軍のトラックは戦利品を持ち去っていったが、パリは、救済の安息地だった。ドイツ占領時代のパリの古い写真では、兵士がカフェに腰を降ろし、劇場へ向かう姿が見られる。通りには自転車に乗ったり散策したりするフランス人の若い男女がいた。それは輝かしい平和が降って湧いたかのようだ。

敵同士のように見えるが、敵ではなく、互いに多くの共通点があったルーヴル美術館館長ジャック・ジョジャールと、ナチス占領軍を代表するヴォルフ・メッテルニヒ。第二次世界大戦中において、彼らが出会い、衝突し、そして助け合った時期が本作の大半を占める。この2人はほぼ同じ年齢であり、美術品を守り、保存するという同様の使命感を抱いていた。戦争という最も困難な状況であり、それほど影響力が大きいとは言えないこの2人が、武力攻撃を中断し、ルーヴル美術館の偉大な芸術コレクションを保存することに成功した。ソビエト連邦、ポーランドあるいはその他の東欧諸国で、似たようなことが全く起こらなかったのが何とも深く悔やまれる。

撮影監督

ブリュノ・デルボネル

助監督

アレクセイ・ジャンコウスキー
マリーナ・コレノワ

作曲

ムラート・カバルドコフ

編集

アレクセイ・ジャンコウスキー
ハンスヨルク・ヴァイスブリヒ

衣装

コロンブ・ローユォ・プレヴォ

製作

ピエール=オリヴィエ・バルデ
トマス・クフス
エルス・ファンデヴォルスト

キャスト

ルイ=ド・ドゥ・ランクザン

ジャック・ジョジャール
ルイ=ド・ドゥ・ランクザン

1963年、パリ生まれ。『ボヴァリー夫人』(91)で映画に初出演。06年、『L’intouchable』で広くその名を知られる。09年、第62回カンヌ国際映画祭〈ある視点〉部門審査員特別賞受賞作、『あの夏の子供たち』に出演。主な出演作に『ヴィオレッタ』(11)『めぐりあう日』(15)等。

ベンヤミン・ウッツェラート

ヴォルフ・メッテルニヒ伯爵
ベンヤミン・ウッツェラート

1963年、ドイツ・デュッセルドルフに生まれ。ベルリンのエルンスト・ブッシュ演劇芸術アカデミーで学ぶ。演劇とテレビにおいて幅広いキャリアを持つ。主な映画出演作は『Meine beste Feindin(原題)』(99未)、『Geschichten aus dem Wiener Wald(原題)』(99未)、『Ein Mann wie eine Waffe(原題)』(99未)など。

ナポレオンヴィンセント・ネメス

マリアンヌジョアンナ・コータルス・アルテ

キーワード

ナポレオン1世

1769-1821年。フランス第一帝政の皇帝(在位1804-14,15)。本名はナポレオン・ボナパルト。
フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置く。

マリアンヌ

自由を表す女性擬人像をもとに作られた、フランス共和国の擬人像。マリアンヌは通称。ルーヴル美術館に所蔵されている、ウジェーヌ・ドラクロワ作《民衆を導く自由の女神》にも登場する。

ジャック・ジョジャール

1895-1967年。第二次世界大戦中、ルーヴル美術館館長として、ナチスのパリ到着前に芸術作品の避難を計画。《サラトラケのニケ》や《ミロのヴィーナス》といった重要な作品がルーヴル美術館から運びだされた。

ヴォルフ・メッテルニヒ伯爵

1893-1978年。ボン大学で美術史の学位取得。第二次世界大戦中、芸術保護を目的としてナチス・ドイツから派遣される。

ルーブル美術館の歴史

フランスが世界に誇る美術館。
「美術館の中の美術館」と言われ、来館者は世界で最も多く、約900万にのぼる。
所蔵品総数は50万点を超え、その中には《モナ・リザ》、《サモトラケのニケ》、
《ミロのヴィーナス》などの世界中から賞賛を受け続ける傑作も含まれている。

フィリップ2世の時代、パリ防衛のために新しい要塞を建てることが決定する
シャルル5世が城壁拡張を引き継ぎ、城の邸宅化
フランソワ1世が、ルネサンス様式の壮麗な建物への改築を決定する
ルイ14世が歴代フランス王が宮廷としていたルーヴル宮殿から、ヴェルサイユ宮殿へと宮廷を移す。王族が不在となったルーヴル宮殿は、芸術家たちの住居兼アトリエとして提供される
ルーヴル宮殿を「あらゆる科学、芸術が集められた場所」とする法案が憲法制定国民議会で可決される
王政崩壊。ルーヴル宮殿に所蔵されていた王室美術コレクションが国有財産となる
8月10日、ルーヴル内に設けられた中央美術博物館が一般に公開される
「ナポレオン美術館」へと改名、ナポレオン1世によって略奪されたスペイン、オーストリア、オランダ、イタリアなどの美術品が収蔵される
ナポレオン1世がワーテルローの戦いに敗北、多くの美術品が返還される
第二次世界大戦勃発。《サモトラケのニケ》や《ミロのヴィーナス》といった重要な彫刻作品がパリ南部のアンドルのヴァランセ城に移動する
終戦後、ドイツに占拠されていたフランスが解放されると、各地に分散していた美術品がルーヴル美術館に戻る
ミッテラン大統領が推進した「大ルーヴル計画」が発表され、83年に建物が改築されるとともに、それまでルーヴル宮殿内にあった財務省が移設され、宮殿施設全体が美術館となった。そして建築家イオ・ミン・ペイから、ナポレオン広場に設けられた新たなエントランスにガラス製のピラミッドを建築する提案がなされた
ピラミッドが完成

フランコフォニア ルーヴルの記憶

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